いげ皿制作者は今

私の蒐集から見ると、いげ皿メーカーのベスト6は下記の通りである。

山徳 城岩 上瀧 梶謙 香蘭 改幸

なぜ半端なベスト6かというと7番目の山川や串山あたりから突然生産量(私の蒐集に限ってだが)が少なくなるためである。そこで2002年9月に有田へ行き、この6つのメーカーについて調べてみた。

6つのうち2つ(城岩と改幸)はどうやらもう廃業したらしく、消息を知っている人に会えなかった。窯元一覧にも名前はなかった。ただ社名変更している可能性はある。もしそうなら中途半端な調査をしたことに心からお詫びしなければならない。(もし消息をご存知の方がいたら、ぜひお知らせいただければ幸いです)

山徳が現在株式会社ヤマトクとして活躍していることはWEBなどから知っていた。本通りから脇に入った所に立派な社屋がある。その奥には窯元独特のレンガ作りの四角柱の煙突(左の写真)があり、そこに山徳と入っている。

企画課長の副島さんにお話をうかがった。しばらく前までは鉢を中心に作っていたが、今は衛生陶器(トイレや洗面所まわり)に力を入れているそうだ。ヤマトク訪問の前に佐賀県立九州陶磁文化館(柴田コレクションで有名)に立ち寄った際、トイレを見るとヤマトクの素晴らしい衛生陶器が備えられていた。副島さんからいくつかの銘印(ヤマトクでは角印と呼んでいる)を見せてもらう。ヤマトクの創業は1750年に遡る。

ヤマトクを出るとすぐとなりに上瀧の煙突が見えた。車で目立つし、いくらなんでも失礼かと思い、現存するを確認するに留めた。ただ上瀧と山徳の間にもう一本煙突があって瀧山と書いてあったのが気になった。合弁会社だろうか。

さて、本通りに戻り、陶器店が軒を並べる中を歩いて行くと、源右衛門や今右衛門のさきに香蘭社の本店が現れた。左の写真は入口の看板だけを写したものだが、この入口を一歩入ると明治時代に迷い込んだ感じがする。ショールームがある建物は、手摺から天井の梁にいたるまで香蘭社の社章の蘭が刻まれている。香蘭社の歴史は1689年に初代深川栄左エ門が有田で磁器の製造を始めたことに発している。

香蘭社は現在も有田を代表するメーカーで世界各地への輸出も盛んに行っている。ただいげ皿に関して言えば、ほとんどが小物で、冒険心が薄く、他のメーカーに劣っていた気がする。確かシートンさんによると香蘭社はいげ皿を製作していたことを認めたがらないらしいが、頷ける。

さて車で移動して黒牟田という場所へ行き、梶謙を訪ねた。黒牟田は前述の山徳や香蘭社があった町中とは違って田園地帯だ。外から電話すると梶原さんが鍵を持って現れ、資料館を見せてくれた。今も使っているという木型や土型がずらりと並び、その奥にはパリ万博に出展した直径1.メートル20センチの大皿があった。梶原さんはいげ皿にも詳しく、骨董市などで梶謙銘の入ったいげ皿を探すのが楽しみだとおっしゃっていた。

現在いげ皿を作っているメーカーはない。大正時代を中心に大量に焼かれたこの皿は、なぜこのような変わった形で生まれ、なぜ一時期ブームとなり、なぜ今は誰も作っていないのだろう。とても不思議だ。そしてますます愛着が湧いてきた。(景)