いげ皿の注文品

この図柄(「その他の図柄」参照)を見て思い出した。ある記念日にオランダの友人からデルフト焼をもらったことがある。その見込みには祝辞と私の名前が焼き込まれていた。その後たまたまデルフトを訪問して、一枚単位でも安価でこのサービスが受けられることを知った。一般的なことなのだ。だからいげ皿に中華料理屋の名前が書いてあってもそう不思議なことではない。むしろこんなことはたくさんあったのだろう。しかし料理屋や旅館という限定的な場所でのみ使われる注文品は外に出ることはなく、一部が破損したらまとめて処分された可能性が高い。しかし、だからこそこの皿が今の世に現われた秘密を知りたい。何枚も残っているうちの一枚なのだろうか。この中華料理店はどこにあって、今はどうなっているのだろうか。窯元はこの図柄以外にも注文を受けたのだろうか。いったい何枚単位で。想像にはキリがない。

長崎で中華料理の修行を積んだS治は、伊万里湾に面した生まれ故郷のK市に戻り、ちいさな店「満州」を開いた。いつか満州国へ行って成功したいと思っていた。昼も夜も働き、嫁を取り、長男が生まれ、ようやく生活が安定してきた時に戦争になった。戦後、大陸から戻ったS治は夢見ることを忘れ、妻の疎開先だった熊本で農業のまねごとをしていた。ある日、物置から妻が新聞紙の包を持ってきた。「覚えてる?」S治の目に光が灯った。長崎から戻った時、知り合いの窯元に頼んで焼いてもらった夢いっぱいの皿だ。「まだやれるかな」「うん、きっとできるわ」、、、そんな想像をしてしまう。(景)