いげ皿の窯印

雷山(または雷山軒)の銘は瀬戸か美濃の産と思うが、伊万里以外のいげ皿で窯印のあるものは稀だ。手元にある雷山はどちらも色絵で「いげ」は縄状になっている。美濃は銅板転写が最初に生まれた土地であり、伊万里は日本磁器誕生の地であるとともにコバルトを最初に取入れた土地だ。美濃では銅板転写の技術に注力してコバルトにはこだわらないということかもしれない。

窯印のある皿はいげ皿全体の1/4ぐらいだろうか。5枚組でも窯印があったりなかったりする。概して上手のものには付いていて下手のものにはないような気がする。しかし、窯印とはもともと同じ窯でいくつかの陶工が作品を焼く時に、間違えないように付けたものなので、付け忘れとは思えない。それに焼き上がる前から優劣を付けることもないだろう。ちなみに幕末までは渦福や大明成化年製など筆書きの窯印が主流だが、明治に入ると陰刻になる。

窯印では山徳と城岩がもっとも多い。それに僅かに劣るのが上瀧。これがベスト3だ。それぞれにいくつかのパターンがある。山徳は「山徳」と「ヤマトク」、この使い分けは判らない。制作時期の違いではないと思う。山徳は現存するが衛生陶器の制作に特化していて、訪問した際もいげ皿についてはご存知なかった。城岩は「肥前有田城岩」というコバルト印、「城岩」というもっとも一般的な陰刻印(写真中)、「岩」という吹墨にだけつかわれる陰刻印がある。「肥前有田城岩」は白イゲに多いので、大正末から昭和初頭のものかと思う。「岩」が別の窯の可能性もあるが、城岩は現存しないので調べきれない。上瀧は「上瀧」「上タキ」「ウワタキ」とあるが区別の理由は不明だ。時代ではないし品質でもないので、上瀧窯の中のチーム名かもしれない。上瀧は現存する。

梶謙も「梶謙」「カヂケン」「謙」がある。図柄に統一感がないが、秀作が多い。現在も食器を中心に焼いている。香蘭社はすべて「コオラン」(写真左)。有田磁器の雄として有名だが、いげ皿の図柄に限って言えば独創的挑戦的で、失敗もある。改幸社は「有田町改幸社」のみ。ほとんどが舟の図柄なのは謎めいている。名前を変えて現存の可能性はある。山季はすべて「山季」(写真右)で、ほとんどが吹墨の傑作揃いだ。

この他にもまだ多くの窯印が存在する。「串山」などは数が少ないが、秀作がある。「冨」はおそらくもっとも高級ないげ皿を作っていた窯で、図柄も器も見事だ。

いげ皿は図柄だけでも楽しめるが、裏返して窯印を見つけた時の喜びは図柄に優るとも劣らない。(景)